心の中で唱えるお題目にも功徳はあります。
学生さんや社会人の場合、朝は余裕がなく勤行唱題の時間が取れない方も多いと思います。
しかし通勤・通学中であっても心の中で題目をあげていれば、それは声を出して題目をあげた時と同じ功徳があると言われています。
戸田先生のご指導です。
経文を読む場合に、『読』『誦』 という二つの形があります。
経文を見ながら声を出して読むのを『読』といい、経文を見ないで暗唱するのを『誦』といいます。
唱題の場合は、御本尊に向かって唱えるのが『読』にあたり、御本尊に向かわないで唱えるのが『誦』にあたりますが、どちらの形式でも功徳は同じです。
ただし、真剣にやることです。
人間革命 第6巻 305ページより抜粋
つまり通勤中であろうと休憩中であろうと胸中であればいつでもお題目をあげる事は出来ます。
なので仕事中も題目はあげられると言えばあげられるのですが、仕事が散漫にならないように気を付けてください(笑)
ただ『誦』の題目に頼りきってしまうのも違います。
"楽をしたい"とか"めんどくさい"と思いながら唱題していれば、功徳も比例して小さくなります。
御本尊様は外にもいらっしゃいますが、私たちの胸中の肉団にもおられます。
私たちの生命の中に御本尊様は厳然と備わっています。
御本尊様に対する強い"信"があれば、『読』『誦』どちらのお題目もしっかりと届きます。
なので仕事中も題目はあげられると言えばあげられるのですが、仕事が散漫にならないように気を付けてください(笑)
ただ『誦』の題目に頼りきってしまうのも違います。
"楽をしたい"とか"めんどくさい"と思いながら唱題していれば、功徳も比例して小さくなります。
御本尊様は外にもいらっしゃいますが、私たちの胸中の肉団にもおられます。
私たちの生命の中に御本尊様は厳然と備わっています。
御本尊様に対する強い"信"があれば、『読』『誦』どちらのお題目もしっかりと届きます。
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