「信心してるから大丈夫・なんとかなる」という考えに対して池田先生は、「慢心であり油断である」と仰っています。
例えば車の運転にしても、「信心してるから事故には遭わない」と思いながら脇見運転をしていれば、十分事故に遭う可能性はあります。
仕事の場合も、「信心してるからそのうち昇進する」 と思いながら適当に仕事をしていれば、その姿勢は周りにも見られますから"雑な仕事をする人間だ"と舐められます。
信心をしているからこそ、法を下げてはいけません。
信心をしているからこそ、絶対無事故を心がけ、仕事も誠実で真剣にやらなくてはなりません。
池田先生は「信心をしている人は多いが、"本当の信心"をしている人は少ない」とも仰っています。
信心をしていても、こちらの一念が浮ついていれば地獄界にもなります。
御書に"すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし"(1190ページ)とあります。
信心が弛んでいる人というのは、魔からしてみたら格好の餌食です。
ただ気の張り過ぎも良くありません。
頑張りすぎも無理も決して続くものではありません。
だからこそ火の信心ではなく水の信心が大切です。
パッと光って散っていくのではなく、最初は川のせせらぎのように静かに流れ続ける信心で構いません。
その川を少しづつ太くしていけばいいんです。
その為にも、まずは安定した生命境涯を目指していきましょう。
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