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勤行の際の御祈念文について、池田先生は次のように仰っています。


勤行の際の「御祈念文」について、一言述べておきます。
「祈念」とは、心に思い浮かべて祈ることです。

したがって、形式的に御祈念文を読んでいても、
実際に思っていること、頭に浮かんでいる事の方が、
そのまま御祈念の内容となってしまう
のです。




続いて、戸田先生のご指導です。

観念文(御祈念文のこと)の時は気を付けなさい。
観念とは、心に念ずることだ。それがきちんと御本尊に映ります。

「あいつは、とんでもない人だ」と思いながら観念文をやると、
いくら口で観念文を言っていても、
心の中で考えている「とんでもない人だ」という事の方を、御観念申し上げている事になる。

(普及版 法華経 方便品・寿量品講義 下巻 P242~243より、一部修正を加えて抜粋)




つまり祈りとは真剣勝負であり、心こそ大切なれという事です。




唱題を終えて御祈念文に移る時、人によっては気が緩むタイミングであり、同時に気が引き締まるタイミングでもあります。
毎日唱題を頑張っている人からすると、気が緩むことの方が多いかもしれません。
しかし大切なのは、やはり「一念」です。



必死になって唱える題目、そして本気の祈りは必ず通じます。
反対に、何となく祈っている願いは、なかなか叶わないのではないでしょうか。




全てを決するのは「一念」と「覚悟」、そして「実践」です。
叶うか叶わないかは、どれだけ真剣に御本尊様と向き合えているかで決まるのです。


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